靴作りを覚えた頃のはなし

何かの分野で自分の仕事を作って、自由に暮らしたい。家族とともに住みながら仕事がしたい。これが中学生からのぼくの夢でした。

 

製造業に従事し、家のことなら大工仕事もこなす父と、看護師の母の間に育った僕は

医療系ものづくりの「義肢装具士」という仕事を知った時に、この道だ。と思ったわけです。

 

そして専門学校へと進むことになりました。

親になった今は、高い学費にも関わらず当たり前に進学させてくれた両親に、頭が上がりません。w

 

入学当時はパラリンピックなどの競技で使われるようなバネのような義足。なんとなくイメージ湧きますか?

そこに関わるような仕事をしたい、と思っていました。

 

ところが実際に義足を作ったりする中で、自分の抱いていたイメージと実際の義肢装具士の仕事内容にギャップがあることに気づきます。さてどうしようかと思っていた時に、靴を作る機会に恵まれました。

 

それがぼくにとって大きな転機となりました。

 

義肢装具士は義手や義足だけでなく、膝のサポーターなど身体に付ける治療道具の作り手です。

靴も例外ではなく、外反母趾を代表に各種の疾患からくる変形や痛みを軽減させたりする目的で義肢装具士が作るのですが、実際には義肢装具士全員が靴を作れるわけではなく、今も多くの義肢装具製作会社では自社で靴を製作すること自体珍しいことなのです。

 

晴れて義肢装具士になることができ、ご縁をいただいた整形靴製造の会社で1から靴作りを学びました。

会社では、義肢装具士だけではなく整形靴を専門学校で学んできた方、製靴塾で学んできた方、イギリスで靴職人に弟子入りしていた方など「靴」とは言ってもいろんな方面から人が集まる不思議な会社でもありました。

 

業界の中では先進的なことにも取り組まれており、CADCAMを使用した木型製作や独自の製作理論などにも触れながら、一通り靴作りができるまでになれました。3年目からは工場での管理業務なども並行して携わることになります。

楽しいことも苦しいことも本当に充実した日々を過ごした大阪会社員時代でした。